きょうのまみ助さん
自分で決めたことは
どんなことをしても
絶対にやり遂げたい。
できない自分に
超壮絶腹を立てながら
自分を追い込んでいくのは
モノが違うだけで
何も変わらんか・・・と
今日お昼間に
爽快な気分になりながら、
一人で笑けて仕方がありませんでした。
去年の前半は
完全に筆を折っていたので、
しばらく、この感覚を
忘れていたのです。
明日から3月ですが、
わたしはまだまだだけれど、
わたしはもう大丈夫。
本気でそう思うことができました。
自分と向き合う方法を
知っている人は
強いですよね。
強いか弱いかなんか
よくはわからないけれど、
どんな自分でも
これがわたしだ、と
心からそう思えます。
たまに心が弱くなってしまう
そんなこともあるとは思いますが、
目の前のできること。
目の前のご縁。
目の前のやるべきこと。
よそ見せずに
ちゃんと向き合っていきます。
わたしも含めて
地球に生きている方たちは
頭で想像することって
ちゃんと行動をしたら
明日すぐには
叶わないかもけれど
やり続けたら
絶対に叶います。
それに必要なことは
計画、準備、道筋を立てたら
後は1から10まで
すべて情熱しかないんです。
パッションです。
計画、準備、道筋は絶対に必要で
情熱だけでは何も成し遂げれないけれど
計画、準備、道筋だけ
頭の中で考えてても
行動しなかったら
何も叶いません。
そのようにできています。
この世は行動したもん勝ちです。
そのためにも
情熱、大事にしてくださいね。
きょうのわたし
今回は、行動ってことよりも、
情熱にフォーカスして考えてみようかな。
情熱ってものが、字面(じずら)ではなく、感覚としてわからない人は
結構いるんじゃないかな。
わたしだって、本当にわかってたら、
この歳になって、大成しているはずだけど。
わたしの母は、洋裁が好きで、
我を忘れて没頭する。
でも、わたしには情熱があるようには
思えない。
というのも、工夫はするが、
調べてまでやろうとはしない。
面倒くさい、がまず来る。
わからないところは、いい加減に適当に。
で、それを繰り返す。
なので、同じ失敗を繰り返す。
没頭するが、楽しい、ことが大前提で、
面倒な山が来たり、うまく行かなかったり
して、楽しくなくなった瞬間に、
興味を失い、止めたり、いい加減になる。
情熱は、面倒も乗り越えて、
岩をもよじ登る。
情熱は、嫌も面倒も、しんどいも、
超えていくものだ。
何度も同じ失敗を繰り返すのは、
やりたいところだけ、楽しいところだけを
やっているので、平坦な道しか行けない。
だから、絶景を見ることができない。
嫌になる。なので、プロにはなれない。
情熱は、わたしの感覚では、メラメラと
燃える炎のようなものだけではない。
静かで淡々とした忍耐もまた、
情熱だと思う。
建築家の恩師が、「面倒くさい、と
思ったら、プロではない。」と言われた。
まさにそのとおり。
やり直し、描き直し、は超面倒くさい。
だけど、もっとよいものを、もっと、
もっと、と思うと、
その面倒くさい工程を超えないと出来ない。
もっとやっても、もっとやらなくても、
報酬は一緒でも、情熱が向かわせる。
支えるのは、忍耐だ。
情熱を持たないといけない、と焦っても
情熱なんて、見つけられるものではない。
コレに情熱を傾けよう、と思っても、
すぐに冷める。
情熱が、誰の目にもわかるようになるには、
忍耐がなければならない。
それには、嫌なことをたくさん、
超える必要がある。
わたしは、どちらかというと、
一に継続二に継続、三四も継続、
ずっと継続、だと思ってる。
続けるうちに、なんかの形になってくる。
と、なんか、認められて嬉しくなってくる。
情熱、というような大層なものでなくても、
焚き火でも、ずっと燃えていると、
人は集まってくる。
継続し続けることは、
それほど難しいんだと思う。
だからこそ、人は敬意を払う。
わたしも大いに敬意を表します。
母には、情熱はないかもしれないけど、
細々とでも継続している。
継続しているから、人は認めてくれる。
ただ、継続しているだけだと、
認めてはもらえるけど、
だんだん時代遅れになったり、
誰でもできて、成果に対しての評価は
低くなってくる。
やがて継続が難しくなる。
情熱を支えるのは継続。
継続は忍耐が支える。
忍耐だけでは、継続できない。
創意工夫とチャレンジが必要。
それには、情熱が必要。
この循環を「伝統」と言うと、
わたしは思います。