きょうのまみ助さん
一日PCの前に座ってなんやかんや
していると、
まあまあ、いろんな思考が
邪魔をしてきます。
今日は感情から来る
思考が作業の邪魔を思いきり
してくださいました。
こういう時に
雑念をとっぱらうためにも
瞑想が役に立ちます。
わたしは、今
月に一回
仲間と一緒に
楽々瞑想会というものを
主催しています。
去年の夏、8月から
最初は3人で始めた瞑想会も
今月で8回目を数え、
毎月徐々に人が増えてきて
今月は12人もの人が
集まってきていました。
すべては自由にしてあるので、
一回だけ参加の方、
毎月来てくださる方、
月を飛ばして参加の方、
いろいろなんですが、
瞑想仲間が増えてきて
それはそれで
とても、楽しいです。
瞑想とは、
仏教から伝わる瞑想、
ヨガから伝わる瞑想により内容は大きく
異なるが、
心を静めて無心になること、
何も考えずリラックスすること、
心を静めて神に祈ったり、
何かに心を集中させること、
目を閉じて深く静かに
思いをめぐらすことなどとされている。
〜ウィキペディアより〜
最近、Googleでは会社で
アップルの創業者スティーブ・ジョブズは
日常的にやっていることで
「マインドフルネス」という言葉は
かなり有名になりました。
マインドフルネスの状態
(“今ここ”に意図的に意識を向け、
価値判断をせず、
ありのままに受け入れる状態)
をつくるためには、
脳のトレーニングが必要。
その方法として最も一般的なのが瞑想です。
仏教では、2500年以上も前から
マインドフルネスを実践するための
トレーニングとして
瞑想が行われていました。
瞑想によって意識をコントロールし、
「今ここ」の一点に集中させるのです。
誤解している方もいるかもしれませんが、
マインドフルネス=瞑想
というわけではありません。
瞑想はマインドフルネスの状態を作るための
方法のひとつで、
瞑想以外にも
マインドフルネスの状態をつくる方法は
たくさんあります。
瞑想をする時に大事なのは
呼吸と姿勢だと言われています。
呼吸に意識を向け続けるというのは
想像以上に大変です。
「最初のうちは5分やるのも精一杯」
という方がほとんどですが、
毎日少しずつでも続けることに
意味があります。
続けるうちに、
意識の向かう先を
コントロールすることが
だんだん楽にできるようになるはずです。
最初は1回5分から。
日々最終的には
30分程度できるようになれれば
いい感じかも、です。
けど、慣れると気持ちいいので
何時間でも
瞑想できるようになってきます。
瞑想を始めたからといって
すぐに何か大きなメンタルの変化が
訪れるわけではありません。
だけど、1回5分を1日に何度か行い、
それを2ヶ月程度継続すれば、
「集中力が上がった」
「感情のコントロールをしやすくなった」
「ここぞというときに頭がさえるようになった」
「適切な状況判断ができるようになった」
などの変化を実感する方が多いようです。
きょうのわたし
マインドフルネス・・・また、難しいことを。
インドフルネス(英: mindfulness)は、
現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、
瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる。
マインドフルネスの語義として、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、
評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされる
こともある
ウィキペディアより
余計にわからんって。
さあ、30代ぐらいからかな。
思ってるんだけど。
身に付けたありとあらゆる処世術、
思い込み、もっというと、歪みを
取り払うことが、心の平安には
必要なんじゃないかな。
人って生まれてから、生きるために、
まず、呼吸をして一生懸命泣いたりして。
手足と身体のバランスを取って動かして。
毎日毎日練習する。
なるほど。 こうするのか。
エネルギッシュで出来ることが増えてくる。
この段階って、無意識かもしれないけど、
自分で動かなきゃ、生命が危うい。
喋らないと、要求できない。
生き残るため、周囲の状況に合わせて自分を
変化させていくわけなんだろうけど、
この段階で、すでに歪んでる。
例えばわたしは、ひどい外反母趾。
生まれたときから、ってわけではないはず。
両祖母。 母。 みんな結構ひどい。
着物生活育っていても外反母趾。
骨のつくり、っていうのもあるだろうけど、
しらずしらずに、親の歩き方をみて、
親はその親や経験からの靴の選び方
などから、そうなってきた部分もあるのだと思う。
他人と親の歩き方の違いなんて、
大人になるとわからないけど、
赤ん坊のときの洞察力は、野生だからね。
ありとあらゆるすべてのことが、
持って生まれた素材を使って
作り上げられた自分。
生きるために、生きるために、
いろいろと身に付けてきた。
もう生きることはなんとかできるように
なったけど、なんだか、苦しい。
自分と違う・・・
今度は、自分の心に向き合って
身に付けたい。
でないと、肉体は生きられても、
心が生きられない。
そのためには、一度、身に付けた余分は
取り払わないと。
けど、それが難しい。
手放すのは怖いから。
難しい上に、周囲も引き戻そうとする。
いや、いままでの経験から、
引き戻そうとするに違いない、と思ってる。
どうして?
結局は、怖いから、難しいと思いたい。
つまり、一所懸命身に付けた、
処世術って服なんだけど、
合ってないよ
暑苦しいよ
前後ろ反対
デザインが好みじゃない
色柄が違うほうがいいな
・・ってことで、自分の好みの服にしたい。
でも、脱ぐのは風邪を引きそうだし、
誰もやってないし、
恥ずかしいからためらう。
でも、ここは温かいし、一人でも大丈夫。
怖くない。脱いでもいいんだよ、という
状態を作り出すのが瞑想。
いや、これ、勝手な解釈だけど。
まぁね、わたしも、スケスケ、キラキラの
羽のような服を身にまとってみたいわけなんだけど、
みんなから、目を背けられる。
おっとぉ・・・そういう固定概念が
だめなんだよね。